背後から聞こえた低い声に思わず身体が反応してしまったのは、10年前に嫌でも身に付くことになった条件反射からだった。
地面に転がる石と靴の擦れる音が、徐々に大きくなっていく。この静寂がもたらす恐怖と彼の威圧感は、今でもまったく変わっていなかった。 「目があったら噛み殺される」そんなのはもう周知のこと。逃げることも、振り返ることすらも出来ない私は、ただ その場に立ち竦んでいた。

目があったら、最後―。



「ご、ごめんなさいっ!!」

体を90度に曲げ、彼に向かって頭を深く下げた。 彼に噛み殺される自分がふと脳裏を過ぎって、暑くも無いのに額から変な汗が零れ落ちた。 やだやだやだ!私、まだ死にたくない…!
暫く沈黙が続いた後、呆れ返ったような溜息が頭にふっとかかった。

「君には学習能力が無いの」
「も、もう遅刻しませんから!!!」
「信用出来ないね」

「ひっ…」頬に当たった、冷たくて硬い物にびっくりして思わず声を挙げた。彼のトンファーが滑り落ちて顎の部分に当たると、そのまま ぐっと顔を持ち上げられた。目を合わせないように頑張っていた努力は泡のように消え、彼の鋭い目付きが、自分の瞳に強く突き刺ささった。

「その目…僕の嫌いな草食動物の目だ」

雲雀さんの目は人間を見つめるような目をしていない。まるで獲物を捕らえたかのように満足げに笑う彼を見て、 もう完璧に終わりだと思った。「か、…噛み殺したいのなら、どうぞ」恐怖で頭がイカれたのかもしれない。 口走ってしまった後で、自分の発した恐ろしい台詞の意味を理解した。
「ふぅん。じゃあ、遠慮なく」一瞬何が起こったのか解らなかった。服の胸の辺りを掴まれたと思ったら ぐいっと身体を引き寄せられ、気づいたら真ん前に雲雀さんの顔…。え…?何?何が起こってるの…?

「気に入ったよ、

てっきり噛み殺されるだろうと思って覚悟を決めていたのに、彼の発した言葉はあまりにも予想外だった。 今この場で何が起こっているのかさっぱり理解出来ない私は、ただ口をぽかんと開けて雲雀さんの目を見つめることしか出来なかった。 い、今、キス、した…?ドキドキドキ、胸が張り裂けそうなほど騒々しい。顔から火が出そうなほど熱い。何も考えられないくらい頭が朦朧とする。この気持ちは何…?

私きっと、雲雀さんのこと…。




、聞いてるの」

コツンと彼の拳が軽く頭にぶつかり、私はハッと我に返った。
ついさっきまで目の前に居た幼い彼に変わって、背はすっかり伸びて大人の雰囲気になってしまった恭弥が心配そうに私の顔を覗き込んできた。 どうやらいつの間にか10年前にタイムスリップしていたようだ。

「ご、ごめん!昔をね、思い出してたの」
「10年前?」
「そう、私たちが出会ったときのこと」

ひゅっと乾いた風が、私たちの間を擦り抜けた。
あの頃よく見上げていた空は、今も変わらず此処にある。

「町並みはすっかり変わっちゃったね」
「君は…変わってないな」
「成長してないって言いたいの?」
「違うよ」

「じゃあどういう意味?」少し怒った風に尋ねれば、それを宥めるようにすっと頭を引き寄せられ、彼の唇が耳にそっと触れた。

「10年前と変わらず、今も僕をドキドキさせてくれる」

彼の落ち着いた低い声が耳中に響き、その意味を理解した途端、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。それはまるで出会ったときのように、 それこそ恋に落ちた瞬間のように、緊張で胸が高鳴っていた。10年前も今も同じ気持ちでいられる―なんて、幸せなことだろう。 同じ空の下、私たちはあの頃と変わらず愛し合っているのだ。




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Title by シルクロード奇跡

2007/9/12