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嫌な夢を見た。
いつもなら彼女の「おはよう」の声で目覚める朝。それなのにいくら時間が経ってもその声が聞こえることなんて無かった。不安になった私は、ベットから飛び起きて部屋中を探し回った。クローゼットの中、トイレの中、バスルームの中…だけど何処を探しても彼女の姿なんて無くて。裸足のまま外に飛び出して、ボロボロになるまで町中を走り回った。
不安、というよりも怖い気持ちの方が勝っていた。彼女が居ない世界なんて、"死"同然だと思った。ひょっとしたら今まで見てきたのが夢で、彼女の居ない今が現実なのでは無いか―そんな考えすら過ぎる。ガンッ―くだらない思考を捨てるため、思い切り壁に頭をぶつけた。硬いところに当たった部分が、じんじんと痛み出す。痛い、苦しい、怖い…色んな想いが頭の中を駆け巡って、立ってることすら出来なくなった私はその場に倒れこんだ。このまま、息絶えてしまうかのように―。
再び目を開けた時には、さきほどの気を失った場所ではなくなっていた。「ああ…さっきのは夢だったんだ」そんな事は、いつもと同じ天井が視界に入って来たことから容易に予想できる。
トントントン
耳を凝らせば、台所の方からリズミカルな音が途切れ途切れに聞こえてきた。逸る気持ちを抑え、ベットから飛び起きて急いでその音の方へと向かった。ガラス貼りのドアからこっそり中を覗いてみると、葵の愛らしいエプロン姿が目に入った。同時に溢れるほどの安堵感が身を包む。自然と口ずさむ彼女の歌声も、朝の目覚めには心地が良い。何だか急に愛しくなって、ずっと、その後姿を見つめていた。
「わ!える!」
彼女が朝食を並べようと机の上に皿を置いたとき、私の存在に気付かれてしまった。葵の驚き方があまりにも可愛らしかったので、ふと口元が緩んだ。
「そんなとこで何してるの?朝食できてるよ、早く早くっ!」
そう言ってドアを開け、彼女は急かすようにして私の手を引っ張った。葵の優しい手に引かれながらも、既に朝食の準備が整っている食卓の前へと移動する。色とりどりに並べられたカットフルーツと、皿の上に綺麗に並べられたフルーツサンドを見て、ごくりと喉が鳴った。
葵は料理も上手だ。それでいて頭も良く、意志の強い、しっかりとした女性。そんな彼女が何故私なんかと交際をする気になったのか、今でも不思議に思っていた。
私よりももっと、葵を幸せに出来る男なんてこの世には腐るほど居る。私は彼女を傷つけるばかりで、何もしてあげられない。そんな不安からあの夢を連想させてしまうのだ。
いつか彼女が、消えてしまうのでは無いか、と。
椅子に座ろうとしている葵の手を無理やり引っ張って、後ろから包み込んだ。彼女の華奢な身体はスッポリと私の腕の中に収まった。
「びっ…くりしたぁ。どうしたの?」
「葵…これは幻じゃないですよね?」
「当たり前じゃない。L、何か今日変だよ?」
「怖いんです。夢のように、あなたがこの世界から居なくなってしまうんじゃないかって…」
「………」
葵はパッと振り返って、両手で包み込むように私の頬に触れた。ふっと息がかかるほどの至近距離。彼女の潤んだ瞳が、私の目を見つめていた。
「L。私の目を見て」
「……?」
「私の瞳には、あなたが映っているでしょう?」
「はい。」
「あなたの瞳にも、私が映って見える。私達は、お互いの瞳の中で生きているのよ」
自分が泣いている事に気づいたのは、葵の瞳に映る私が涙を流していたからだった。留まる事の知らないそれは次々と溢れてきて、何度も何度も頬を伝った。
「私は絶対Lを裏切るような事はしない。でも、万が一居なくなるような事があれば…」
目を閉じて、私に会いに来て
耳元で葵の声が響くのと同時に、私は彼女を強く抱きしめた。骨が折れてしまいそうなほど、強く。もう離したくないと思った。離れて欲しくないと思った。私は彼女が居なければ、きっと息をすることすら躊躇ってしまうかもしれない。それほど、彼女に依存してしまっているのだ。
私はこれからも、あなたの瞳の中で生き続けたい。
「あなたの瞳には私以外の人は映さないでくださいね」
「あはは、約束する」
「絶対、ですよ?」
「わかってるって」
窓から差し込んでくる光が、妙に眩しかった。朝にしては不思議過ぎるほどの静寂が、部屋を包み込んだ。これは夢では無く現実。ありふれた世界の、一人の男と一人の女が愛し合う物語。
私は今日もまた、一つページを捲った。
うたかたの
静
寂