ひょんな事から、僕達は出会ってしまった。
あれは、14歳の夏だった。メロはいつものように庭で、施設の仲間とサッカーをしていた。ポーンポーンと、ボールの跳ねる音が空に溶け込んでいく。きゃっきゃっと、無邪気に笑う、子供達の声が弾む。今日は奇妙なくらい、良い天気だ。
「メロ、行くぞー!とりゃっ」
「わっばかマット!何処にやってんだよ」
「悪い悪い〜」
勢いよく蹴られたボールは運悪く施設の外へと飛んで行ってしまった。
ちらとマットの顔を見れば、申し訳なさそうに顔の前に両手を合わせている。
ったく。ちょっとは手加減しろっての。
メロは仕方なくそれを取りに行く事にした。閉ざされた門をよじ登って、ボールが飛んで行ったであろう方面に一目散に駆け出した。今日は天気がいい。体を切る風が、凄く気持ちいい。道形に咲く向日葵も、何だか笑っているようだ。
「おっかしいなー。確かこの辺に…」
草を手で掻き分けながら、奥へ奥へと進んで行く。気づいたら、何処かの敷地内に入っていたみたいだ。見上げれば白く、大きな建物が聳えていた。何だ…?此処は病院か…?
ふと、建物から下に視線をずらすと、一人の少女がボールを拾ってる姿が見えた。それは間違いなく、メロの探していた物だった。高まる期待を抑えながら、ゆっくりと近づいていく。人一人分入るくらいの距離まで近づくと、少女はやっと此方に気が付いた。
「あ…これ、あなたの?」
「そう。悪かったな」
「ううん。はいどうぞ」
少女はニコリ、と微笑みながら、メロにボールを手渡してきた。見た感じ10歳前後くらいで、私服でないところを見ると此処の病院の患者なのだろう。メロは、ボールを受け取り、その場を去ろうとした。すると、看護婦らしきおばさんが、慌てて駆け寄って来た。
「あ、ちゃん!やっと見つけた。もう、駄目でしょ勝手に」
「ごめんなさい。外の空気を吸いたくて」
「いきなり居なくなったら心配するじゃない。ほら、早く病室に戻りなさい」
「はーい…」
少女はまるで叱られた子犬のようにシュン、としながら、病院の中へと入って行った。初めて会ったときから、何か、違和感を感じていた。だいたい人一人分入るくらいまで近づかないと気づかない、なんて事あるか?それに、気のせいか、一度も目の焦点が合ってない気がする。
暫くじっと眺めていたら、おばさんが此方に気づき、話しかけてきた。
「あら、ちゃんのお友達?」
「え…あ、まぁ…」
「そう…あの子ね、生まれつき病気なの。段々能力が衰えていって、終いには息をすることすら、自分で出来なくなるの」
おばさんの話によると、既に生まれた時から視覚を失っていたらしい。自分の感じていた違和感が、それであった事に気づいて、複雑な気持ちになった。
もう長くは生きられない、という事を聞いて、卵が地面に落ちたような、クシャリ、という音が心の奥底で響いた。
何としてでも彼女を助けたい。笑顔を、見たい。
いつの間にかそういう感情が芽生えるようになった。
あの日からメロは施設を抜け出しては毎日のところへ会いに行っていた。何故自分をこうさせたのか―後々気づく事になるが―初めのうちは、自分でもよくわかっていなかった。毎日本を持って行って、あたかも自分が主人公のように、読み聞かせた。そうすると、は笑って喜ぶのだ。病気のことすら感じさせないくらい、明るく、陽気に。
コンコン―病室の戸をノックする。ドアの横には、『』と書かれてた名札が一枚だけあった。
「メロでしょ!」
中からは信じられないくらい、元気な声が聞こえてくる。ドアを開ければ、はいつも飛び切りの笑顔で迎えてくれた。
「何でわかった?」
「足音でわかるの。メロだったらどんなに離れててもわかるよ」
「まさか」
そう言って笑うを見て、一瞬胸がドキッと高鳴った。それに気づかれないように、コホンと小さく咳払いして、ベットの傍の椅子に座った。
「今日は何の話聞かせてくれるの?」
「んーっとなぁ、空の国の話をしてやる」
「空の国?メロ、空飛べるの?」
「まぁな」
「すごーい!!かっこいい!!!」
僕は何度だって嘘を吐く。
それで君が笑ってくれるのならば、それで君が喜んでくれるのならば、
それ以上の願いは無いから。
「空の国にはな、雲って言う、甘いお菓子があるんだよ」
「雲?お菓子なの??いいなぁ…食べてみたいなぁ」
「そう言うと思って、取ってきてやった」
「え!うそ!!?」
メロは施設からくすねて来た綿菓子を、袋から取り出し
の手に握らせてやった。はまるで子供のように無邪気に笑う。屈託の無いその笑顔を見るたび、胸が締め付けられた。何故、こんなにも元気なのに…神とは残酷なものだ。
は嬉しそうに何度もそれを手で触ったり、つついたりして、散々触った後で、パクッと口の中に放り込んだ。途端にとろけるような笑顔になる。
「美味いか?」
「あまーい!凄く、おいしい!!メロ、ありがとう」
「お前の病気が治ったら、いくらでも連れて行ってやるよ」
「本当!?約束、だからね」
罪悪感を感じながらも、僕はまた、嘘を吐いた。
いつものように、窓から自分の部屋に入ったら、普段と様子が違う事に気が付いた。何故か、メロの部屋にニアがいたのだ。待ち伏せしてたのか、パズルのピースが部屋の彼方此方に散らばっている。幸せな気持ちから、一気に奈落の底へと突き落とされた気分だ。
「メロ。これはあくまで私の意見ですが、あまり深入りするのはよくないと思います」
「人の部屋に勝手に入ってくるな、ニア」
「あなたが毎日、お菓子やら本やらを盗んでは施設を抜け出してるのは知っています。あなたがそんな事するのは小さい子か、もしくは障害を持つ子を見離せられないからでしょう?」
「うるさい!お前には、関係ない」
「嘘を吐く事だって、時には人を傷つける」
……そんな事はわかってる。
だけど、しょうがないだろう?出会ってしまったのだから。アイツは、病気と闘いながらも、毎日必死に生きている。どんなに辛くても、笑ってる。それを助けてやりたいと思うのは、普通のことだろう?
だけど、嘘を吐く度に、罪悪感はひしひしと積もって行った。喜ぶ姿を見ると、胸が苦しくなる。良くないって、わかってはいるんだ。だけど、吐きだしたら止まらなくて…。
くそっ…ニアに言われたから、余計に腹が立った。いつもいつも余計な事ばかり言いやがって…。
出会ってから数日が経とうとしていた。日に日には痩せ細り、起き上がる事も、喋る事も困難になってきた。目を、覚ます回数も段々と減って行った。
コンコン
ついこの前まで元気な声が聞こえてきたのに、戸を叩いても、その声が聞こえる事は無かった。
ガラララ。
引き戸を静かに開ける。其処にはやっぱり横たわったままの彼女が居て。点滴や、鼻のチューブなどが身体に巻き付いてて、見てて痛々しかった。の弱々しい呼吸だけが、部屋の中を満たす。
「」
呼びかけても目を覚ましてはくれない。手を握っても、握り返してはくれない。確かに温もりはあるのに、呼吸もしてるのに…つい、悪い事を考えてしまう。
―もしかしたら、明日には、もういないんじゃないか。
ふと、脳裏に過ぎった言葉を、消しゴムで綺麗に消して真っ白にした。何考えてるんだ、僕は…。その時ピクッと、一瞬だけどの手が反応を示した。僕はその瞬間を見逃さず、何度も彼女の名前を呼んでやった。
「……メ、ロ…?」
か細い手でメロの手を握り返しながら、今にも消え入りそうな声で、そう言った。目覚めてくれたのが嬉しくて、つい、言葉に力が入る。
「!ああ…よかった。今日は、星の王子様の話をしようと思って…」
「…メロ……私、あなたに会えて、よかった」
「何だよ、急に?」
「……もう、私…長く無い、から…」
「…な、に言ってるんだよ…!約束しただろ?空の国に連れてってやるって」
の小さくて細い指が、メロの頬にそっと触れる。
バカヤロウ…泣くな泣くな。僕が泣いて、どうするんだ…。
「…一度でいいから、あなたの顔、見てみたかった」
「病気が治ったら、いくらでも見れるだろ?」
「お話、とっても、楽しかった…よ」
「またいつでも、何度だって聞かせてやるよ…」
「……メ、ロ……」
「
…駄目だ…逝ったら、駄目だ…!お前を…愛してる。だから…」
「……あ、りが…と…」
触れていた指が、力を失ったようにメロの顔の輪郭をなぞり、そのままパタッと白い布団の上へと落ちた。もう、その手が、動く事は無かった。
「…?嘘だろ…おい…ーー!!!
」
は笑顔のままで逝ってしまった。
ニアの言うように、深入りしなければ、こんな思いはしなかっただろう。
でも、僕は後悔はしていない。
だって、百万回の嘘の後に、
たった一つの真実を、伝える事が出来たのだから。
14歳の夏、僕はとても大きな事を学んだ。
僕は百万回嘘を言う
title by ロメア