いつもと同じように目覚めた。自分以外誰も居ないはずの部屋は、カーテンの隙間から漏れる太陽の光で淡い色に染め上がる。目覚まし時計をセットしていても、アラーム音が鳴る前に目が覚める習慣がついていたためいつも機能を果たさなかった。
ベット脇のテーブル上に置かれた眼鏡を手に取り、むくり、と身体を起こさせる。其処で初めて、妙な違和感に気がついた。
「…いつ帰って来たんだ」
おそらく勝手に自分のTシャツを探して着たのだろう、ぶかぶかのシャツから細くて長い足がすっと伸びていて、まるで何事も無く初めから此処に居たかのようには心地よく眠っていた。
「」
「……」
呼びかけても返事は無かった。すーすー、と小さくて可愛らしい吐息がの口から漏れている。私は彼女の髪に触れながら、薄紅色に染まった頬へそっとキスを落とした。
「やっ…くすぐったーい」
そう言ってくすくす笑いながら、はゆっくりと目を開けた。透き通るように白い肌。くるんと大きな曲線を描いたまつ毛。そして、くっきりと黒い、大きな大きな瞳。
久しぶりに見た彼女の全てに、思わず虜になってしまう。
「ただいま、照」
「…全く帰って来ないから心配しただろう」
「あ、心配してくれたの?ふーん、珍しいね」
「……」
は自由気侭な女性だった。起きたい時に起きて、寝たい時に寝て、お腹が空けば冷蔵庫からパンやら牛乳やらを取り出して適当に食事を済ませる。そしてたまにふらっと何処かへ消えてしまい、ふと忘れた頃に大きな荷物を抱えて何事も無かったかのように部屋に戻ってくる。彼女の世界には時間と言うものがまるで無いみたいだ。それこそ猫の世界のように。
「仕事でしょ?行ってらっしゃい」
「……」
「照?どうしたの?」
「いや…久しぶりに、何処かへ出かけないか?」
は「んー…」と数秒唸った後で(きっともっと寝ていたいのだろう)、大きな瞳を私に向けて、いいよ、と返事をしてくれた。
これだけで嬉しくなるなんていったい自分はどうしてしまったのだろうか。明らかに自分とは正反対な彼女に、何故惹かれるのかは未だわからない。だけど、何処か淋しげな表情を隠し持つ彼女を、放ってはおけなかった。
「もうすっかり夏だね」
私達は街にある少し洒落たオープンカフェに寄った。外のテーブルに座り、ふわりと湯気を靡かせた出来立てのコーヒーを一口啜りながら、「そういえば、まだ今年海に行ってないや」とは呟いた。
「海なんて別に行かなくてもいいだろう」
「わかってないなぁ照は。」
ずっ― もう一口、コーヒーを啜る。
「海の凄さを知らないんでしょ?海は大きいよ、一度じゃ見渡せないくらい、何処までも何処までも続いてるんだよ」
「……」
そんな当たり前のことを言われて、正直言葉につまった。
「とくにね、太陽の光を反射させてきらきらするじゃない?あれが好きなの。何か宝石みたいでわくわくする」
「…まるで子供のような発想だな」
「子供みたいな発想もたまには大事だよ」
はきっ、と此方を睨みながらも、飲みかけのコーヒーを全て飲み干した。まったく今日は風が少しあるからいいもののよくこんな暑い日にホットコーヒーなんか飲めるものだ。
そういえば、子供の頃の事など最近全く思い出さなくなっていた。確かに自分にも純粋な時期があった。人から感謝される事を素直に嬉しいと受け止め、正義感に溢れていた自分は誰よりも生き生きしていたと思う。たが、あの頃の面影は大人になるうちに次第に消えて行った。("消えていく"よりも"自ら削除した"の方が此処ではふさわしいのかもしれない)
と居ると不思議な気分になる。自分が変わっていくような、昔の純粋な感情を蘇らせるような。もっと前から彼女と出会っていれば、少しは変わっていたのだろうか―。
「今から海に行くか」
「え?いきなりどうしたの?」
「何でもいいだろう。行くのか行かないのかどっちだ?」
「そりゃあもちろん」
身体全体で喜んでいることが表情から伺えるほど、子供のように無邪気な笑顔で。
「照」
「なんだ?」
あ り が と う
はそう言った。
君に流されていく